ガラパゴスからの船出

時代の潮流から随分外れた島に浮かぶ音楽ブログです。お気に入りの曲(2000年代後半が多め)の感想や好きな部分をひたすら垂れ流します。

fripSide/only my railgun

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以前の記事にも書いたように、私はfripSideにはナオプロから入ってしまった。

ナオプロとしてのデビュー時、fripが萌えソングを歌う様に衝撃を受けたファンもいたようだが、逆に私は通常のfripの曲を聴いて「えっ、fripってカッコいい歌も歌うのか!」となったわけだ。

 

そんなfripからnaoが脱退し、spiral of despair -resurrection-でRita氏が急遽ボーカルとして代役を務めた後、ジョルノこと南條愛乃氏が二代目ボーカルとして加入し、発表されたのがアニソン史に燦然と輝く名曲「only my railgun」だ。

まさかここまで売れるとも思っていなかったのか、後のPVに比べてお金がかかっていないのはご愛敬。ついでに言うとsatの顔が全然映らない

アニメ「とある科学の超電磁砲」のOP主題歌として抜擢されたこの曲を聴き、私は「ついにfripが帰ってきた!」ではなく、「なんだこの曲、今までのfripとは違うぞ…!」と思ったことを覚えている。ボーカルが代わったことは別として、音一つ一つがかつてのfripを彷彿とさせつつも、別の何かに進化しているような感じがした。

 

まず気になったのは音の丸さ。これはどういうことかというと、一期のfripの音って、すごく攻撃力が高かったように思うんですよ。尖っていて耳に冷たく高い音がザクザクと刺さってくるようで、それが休む間もなく全速力で矢継ぎ早に来る感じ。それは悪いことではなく、むしろそこがfripの良いところで、ファンからすると心地よく思える中毒性のある音。ところがこの「only my railgun」はなんとなく音が丸く、それでいて一つ一つの音がハッキリ聴こえるのだ。

 

メジャーレーベルから発売されたため、ミックスやマスタリングがそもそもインディーズの頃と変わったのだろうといえばそれまでなんだけど、新しいボーカルを迎え、新しいレーベルに移ったことで、新しい一面をsat氏が見せようと気合を入れたのではないかと勝手に思っている。メンバーや環境が変わったのに「相変わらずのfripをお楽しみください」では、「じゃあnaoでよかったじゃん」となってしまう。むしろ「こんなこともできるんだぜ」「ボーカル変えた意味があっただろう?」と新しい一面を表現するのがクリエイターなのではないだろうか。

 

それから声も含めた音の低さ。これはジョルノの声質によるものだと思うんだけど、一期で見られたようなやたら高いハイトーンは見られなくなった。この頃のジョルノはキャラソンをちょっぴり歌うぐらいで、到底歌手と呼べるような立ち位置ではなかったから、そんな声は出せないというのは仕方ないのだが、だったらジョルノの声質に合うような曲を作ってやろうと言わんばかりのsat氏の工夫が、新しい一面を見せるきっかけとなったのではないか。元々sat氏はジョルノの歌の上手さではなく、その透明感のあるクリアな声と自分の曲調との相性の良さに確信を持ち、それまではボーカルを楽曲の一部と捉えていたのが、「歌をもっと前に立たせたい」と思うようになったそうなので、“音の低さ”というのはジョルノあっての新境地だったのだろう。

 

後はもう説明することがないほど、この曲を初めとしてfripは爆発的なヒットソングを連発した。タイアップの良さ、PVに芸人を招く意外性、一期では考えられないほどの規模のライブ(元々一期fripはライブをあまりやらないユニットだった)など、話題になるポイントが全部詰まっており、今考えるとそりゃ売れるだろうなと思わずにはいられない。そして「一期fripも良かったけど二期もいいじゃん」というのが私の感想で、一期に続き彼らの活動を追っていくことになった。現在に至るまでも音源は全部集めているし、一期も含めて私の所有する曲の中で最も曲数が多いユニットとなった。しかしまあここまで長い付き合いになるとは。

 

そういえば2020年には、セルフカバーを配信していた。

もうね、ここに至るまでのジョルノの成長具合ときたら。11年という旅を経てふと後ろを振り返った感じ。まったくの別人の声なんですよ。洗練されたキレッキレのカッコいい声質。どちらが良いとかではなく、「あの時も良かったけど、今も良いよね」という、私が二期fripを初めて聴いた時と同じことを、二期の中でまた思い知らされたのだ。

どうぶつの森シリーズ(村BGM編)

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中学生の頃、私はゲームキューブを買ってもらった。真っ先に選んだゲームソフトはスマブラDXだった。帰りの車で説明書を読んでワクワクしていたのだが、同じ車に乗っていた妹が選んだゲームは「どうぶつの森+」であり、そこで初めて私はこのゲームを知った。「村を作って動物達と暮らすゲームの何が面白いのか」と思っていたのはほんの最初だけ。プレイさせてもらったところガッツリハマってしまい、最終的にたぬきちのローンを私が最初に返したことで、妹の村には私の金の像が立ったのであった。

 

しかし私は満足しなかった。「そもそも村に自分の家を一つしか建てられないのはつまらん」と考えた兄妹妹は、各々がSDカードを一つずつ所有して、それぞれが村を立ち上げることにした。したがって一人で四人の主人公を動かせるようになったのだ。これによりイベントでの非売品やとたけけの曲を四つ手に入れることができるようになり、プレイの効率が向上した。

 

それでも私は満足しなかった。「現実の季節とシンクロしているから、別の季節のイベントが待ち遠しい」と考えた私は、もう一つSDカードを用意。半年時間を遅らせて南半球バージョンの村を作り上げたのだ。これにより私が動かす主人公は八人。そこから「どうぶつの森e+」も買ったことで、最終的にGCで私が動かしていた主人公は十二人となった。「森狂い」とでも呼べそうなプレイスタイルである。

 

時は経ち、ニンテンドーDSで「おいでよどうぶつの森」が発売された。受験も終わって一段落した私はもちろんこれに手を出した。大学へ入ってネット環境のない部屋に住んでいた私は、ヒマな時にどっぷりと森へ浸かり、夏休みのようにとにかく時間がある時なんかは一日中村づくりをしていた。窓の外を見なくても、上画面に映る空を見れば朝と夜を判断できるのだから、もはやどちらが現実かわからないレベルで、どうぶつの森は存在していた。

 

ところがその後、私はシリーズからすっかり足を洗ってしまった。反動というよりかは、他に面白いゲームがあったので、特に終わりのないどうぶつの森に時間を割くのが勿体なくなったのだ。Wii3DSで出たシリーズも距離を取っており、もう在りし日の思い出として語るぐらいが面白いのだろうと考えていた。そんな中発売されたのが「あつまれ どうぶつの森」。コロナで在宅時間が増えた時代に発売された本作は、凄まじい勢いで流行した。妹はもちろん、職場の同僚にも勧められたが、「もう自分は引退したから…」と、最初こそ手をつけなかった。しかしながらお盆周辺の連休、「さあ時間ができたぞ、何しよう」と思った私の頭に、このゲームが閃いてしまった。後は容易いもので、気が付けば一日で虫と魚を50匹ずつ捕まえるような、バグったプレイスタイルが十数年ぶりに蘇ったのだった。

 

前置きが長くなったが、このように私とどうぶつの森の付き合いはかなりディープかつサイコなのだ。そして本シリーズの魅力として欠かせないのが村のBGM。戸高一生氏の作るBGMは、村の生活を楽しく彩り、部屋のインテリアのピースの一つでもある。というわけで今回は、どうぶつの森の中で私が気に入っているBGMをひたすら挙げていこうと思う。なおとたけけの曲について語ると、さらに文章量が増えてしまうため、今回は「村BGM編」ということで、ひたすら村のBGMについてのみ語っていく。

 

まずは「どうぶつの森+」より午後5時。

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学校から帰ってきて電源を入れてプレイした時に聴こえてくるのは「午後4時」なのだが、その曲調はまだ昼っぽさが溢れている。ところが「午後5時」になった途端、夕日が沈んでいき、町にポツポツと明かりが灯る空気感のこの曲が流れてくる。「ああ夕方だ」と、この曲を聴くと脳が切り替わるのだ。したがって本作で最も印象に残っている村BGMだったりする。

 

次に午前8時。

この曲を聴いて思い出すのは夏休みである。午前8時のBGMなんて平日は聴けるわけがない。また説明するとややこしくなるので詳細は述べないが、私の家は土日に据え置きハードのゲームをやれる環境ではなかったので、休日であってもこのBGMは聴けなかった。そんな私が朝からこのゲームで遊べたのが夏休み。大体電源を入れるのが8時前後だったので、この曲から森の生活は始まる。「朝からゲームがやれるなんて!なんでもできそうな気がする!」という朝の澄んだ空気にワクワク感が混じった私の琴線に、この曲はそっと触れてくれる。思い入れの強い一曲である。

 

続いて「おいでよどうぶつの森」より「午後3時」。

大学が早く終わった時や、空きコマなどで電源を入れられるのが午後3時。どこか力の抜けた木琴、そっと響くアコーディオンと口笛、それらを支えるエレピとドラム、音の数は少ないのだが、昼が過ぎて丁度うとうとしたくなる朗らかな時間帯を見事に表現している名曲である。

 

その三時間後、「午後6時」も思い入れが強い。

「さて今日もそろそろ夕飯作ろうか」と腰を上げつつも、プレイは続いている。そんな夕方から夜に変わる何気ない瞬間を描いた一曲である。この曲もアコーディオンの使い方が絶妙だ。

 

そして私がシリーズの中で最も愛する村BGMが「午後10時」だ。

あまり語られることもなく、本作の中でもマイナー寄りなのだが、本作の世界観を象徴するような名曲だと個人的に思っている。音程を変えながらも同じフレーズを繰り返すエレピ。静かに入ってくるベースやアコーディオン。静けさを邪魔せず、それでいて欠かせないパーカッション。レの音を淡々と奏でるシンセ。静謐な夜に自分一人しかいないような錯覚がまず生まれ、しかしながら風の音だったり虫の声だったり、遠くに見える明かりだったり、自分以外の何かもいるのだろうと推測ができる。でも孤独を嗜むことのできるこの時間は誰にも邪魔されない。そんな気持ちをそのまま謳うことのできる最高のBGMである。いやもう本当に大好き。

 

有名どころだと「午前2時」だろうか。

スマブラにも収録されるほど人気の高い曲である。村BGMとしては珍しく、AメロとBメロに区分できるほどにメロディーがハッキリしており、力の入れ具合が伝わってくる。何が凄いって、そういった曲を午前2時という人が寝静まった時間にブッこんでくるところである。こんな名曲を深夜に聴かされたら、「もうちょっと起きてみようかな」と思ってしまうだろう。

 

最新作の「あつまれ どうぶつの森」でまず上げたいのは午前11時。

もちろん平日に聴ける曲ではない。遅く起きた休みの日、「そうだ、あつ森でもやるか」と電源を入れるのがこのぐらいの時間だろうか。そんな緩い気持ちの時に聴きたくなるのがこの曲だ。こちらのボケっとした頭に丁度良い雰囲気を届けてくれる。

 

うっかり早起きしてしまった時は[「午前7時」が聴こえてくる。

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朝早い曲のほうが“なんでもできる感”が強いのは、シリーズ恒例なのだろうか。スネアの音がマーチングのようで小気味よく、心の中にそっとワクワクを準備してくれる。

 

最後に隠れた名曲「午前5時」。

ピアノがメインで響き、同じフレーズをエレピでも奏でるという、シリーズの中でもかなり珍しい構成のBGM。ピアノの音が差し込む光や新鮮な空気を、エレピの音が微睡や温かな部屋を、それぞれ表しているかのようである。世界で一番早起きした時に聴こえてくる曲は、きっとこんな感じなのだろう。

 

とまあ、どうぶつの森シリーズで好きなBGMを挙げさせたらキリがない。どの曲にしても言えるのは、BGMがこのゲームの雰囲気に馴染みすぎており、もはや水や空気と同じ扱いになっているということである。それほどまでに森の生活では欠かせない存在なのだ。

Eminem/Rain Man

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Eminemといえば最も成功した白人ラッパーだろう。「Lose Yourself」なんかはヒップホップを好きではない人ですら聞いたことがあるのではないか。しかし私の中ではEminemの代表曲といえばこの「Rain Man」なのだ。

当時の私はラップを聴いていた覚えはないのだが、確か「ラップならEminemだろう」と父が私にこのアルバム「Encore」を貸してくれた覚えがある。父は普段ラップなど全く聴かないのだが、なぜかこのCDを持っており、そして私に貸しているということは、私はラップを聴いていたことになる。このあたりうろ覚えだ。そして「Encore」はそこまで評価の高いアルバムではなく、私も他の曲は覚えていないのだが、「Rain Man」だけは気に入ってしまった。

 

Eminemはコミカルなものから激しい怒りを表したものまで様々な表情を見せたラップをするのだが、この「Rain Man」は終始気だるげで、口に溜めた煙が口の端から漏れていくようなフロウを見せる。歌詞も最初こそ若者のメッセージのようであるが、段々と話すことがなくなってきて、思いついたことを適当に喋っているようなものになっている。そこにDr. Dreのダークなトラックがバチンとハマって、作品として完成している。

 

しかしヴァースで「I forgot my name」と歌っているEminemはどうしたのだろうか。今までの曲で散々自分の名前を複数の名義を使って歌ってきたのに、ここにきて忘れてしまったそうだ。

 

ここから私はEminemのラップにハマっていったわけではないのだが、さらに数年後、偶然「We Made You」という曲に出会ったことをきっかけに、過去のアルバムを掘るようになっていった。正直Eminemに今もそこまでハマっているわけではないのだが、洋楽のラップと出会わせてくれたのは、この曲あってこそなのだ。

FOX LOCO PHANTOM/KITCHEN MONSTER

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16年と半年前程の熱唱オンエアバトルに、ギヤマンヘッズというバンドが出演した。ギター×2とドラム×1のベースレスバンドで、「ベースはロクなやつがいないっすよ」と言ってのけてハリガネロックの大上氏にツッコまれていたのがボーカルの依田達義氏(以下ヨダロック)だった。オンバトでは一回しかオンエアされなかったが、暴れ狂いギターの弦が切れてノイジーな音になってもリフを弾き続けるその姿にシビれたものだ。

 

番組が終わり、ギヤマンヘッズも数年後に解散。私が彼らの音源をリアルタイムで手に取ることはなかった。しかししばらくしてから私はギヤマンヘッズを思い出し、今何をしているのか調べたところ、このFOX LOCO PHANTOM(以下FLP)というバンドが出てきた。そしてその中央(というか床)ではギターを手放してはいるものの、かつてのしわがれた声で歌うヨダロックの姿があったのだ。

なんということだ、ちゃんとベースがいるではないか

聴いてみればわかるかと思うが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(というかチバユウスケ氏)の影響を受けているであろうロックがFLPの特徴だ(確かヨダロックは、ギヤマンヘッズ時代「ヨダタツヨシ」名義だったので、まあそうだろうと)。ただミッシェルやバースデイと比べて、疾走感が強いように私は思う。なんというかチバ氏のバンドって野太さがあって、洗練されているのに無骨な感じがするのだが、FLPは線の細さが際立っている。ヨダロックの声の高さもあるのだろうが、フロントマンの猫田ヒデヲ氏の作る楽曲に存在する艶やかさが大きいのだろう。

 

さてこのKITCHEN MONSTERであるが、歌詞は割と抽象的なのでわかりにくい。私はCメロの「国道沿いのオープンカフェで イカレたやつの真似をするのが楽しみだから」という部分がなぜか好きである。そんなところで急にイカレた人の真似をしてどうするんだろうと。見ている人からしたら、アンタもだいぶイカレてるぜと言いたくなるだろう。で、それが楽しみというのもわからない。わからないが異様な情景がリアルに浮かんできて、後を引く面白さがある。

 

またラストサビで「僕の友達 青い友達」と語り掛けるような優しい物言いに急に変わるのが心地よい。ヨダさんそんなキャラだっけっていう。

 

そんなわけでギヤマンヘッズの頃以上に愛が生まれてしまったのがこのFLPだ。音源を漁るようになったのは言うまでもない。オーバードライブのかかったヨダロックの声と猫田氏の艶やかな楽曲の相性の良さに虜になってしまった私は、もう「ロクなやつ」ではなくなってしまったのかもしれない。

山下達郎/ヘロン

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山下達郎の曲を初めて聴いたのは、ポンキッキーズのEDだった「パレード」なのだが、誰が歌っていたのか知ったのは随分後のことだった。“山下達郎の歌”として認識したのは、このヘロンが最初なのだと思う。

多分CMでPVを見たのかな。「速報!歌の大辞テン」でも見ていたかと思う。とにかくとんでもなくインパクトのある映像だった。「♪ヘーロン」と、急に音が低くなるところも個人的に耳に残った部分だ。父がマネをして口ずさんでいたのを聴いて「そんな低くないよ!」と言った覚えがあるが、実際低いよね。

 

調べたらヘロンとはアオサギのことで、鳴くと雨が降るので「泣かないでヘロン」ということらしい。というわけでこのPVで真っ青な出で立ちで踊っている人はアオサギなのだ。いや、わからん。

 

コード進行は非常にシンプルだ。たまに小洒落たコードを挟むが、一つのコードが2小節続くことも多く、わかりやすいものとなっている。イントロから鳴る大量のカスタネットは、それこそアオサギの嘴を表現しているのだろうか。パーカッションの数が多く、エレピやギター、モータウンビートのドラムなど、とにかく音が大量に響くのが特徴で、山下達郎のウォール・オブ・サウンド真骨頂の曲である。

 

歌詞は哲学的ではあるものの、力強いものとなっている。キリンビールCMのタイアップであり、そのキリンビール長野オリンピックのスポンサーだったので、応援歌に仕上げたのだろう。さりげなく「ニッポンチャチャチャ」のフレーズも入っている。しかしながら大声で燃え上がるように応援するという感じではなく、早朝の海岸でパチパチと燃える焚火のように、静かで孤独な熱を感じさせるものとなっている。「頑張れ」だとか「努力」という言葉を使わず、「心よ目を覚ませ 見果てぬ夢を数えながら もうすぐ夜明けが来る」「いつかきっと永遠をつかむその日まで」と語り、「流れる時に抗い命を燃やし続ける全ての孤独な人よ 涙は言霊になる」と元気づける。この勇気の籠る静けさたるやどうだろう。

どうでもいいのだが、私はこの曲に健康的なイメージがある。それがなぜか長年わからなかったが、この文章を書いている時に思い出せた。昔ヘルストロンの施設が地元にあり、これと名前が似ているからだ。しょうもないことを思い出してしまった。

 

さて今年は梅雨が長い。いつになったらヘロンは鳴くのを止めてくれるのだろうか。

eufonius/リフレクティア

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今思うと宗教戦争のようだった。

 

2008年のアニメtrue tears。三人のヒロインに囲まれる主人公という、よくある構図の物語。主人公と同居するが影があって本心を見せたがらない比呂美、電波系で底抜けに明るい乃絵、主人公の友人の彼女だが、やたらと主人公に気のあるところを見せる一つ上のお姉さん愛子、以上の三人だ。普段ならラブコメにハマらない私がハマったのだから、やはりドロドロとした昼ドラのような名作アニメだった。この時期、本当にこういうアニメ多かったなあ…(誉め言葉)。

 

さて、そのアニメのOPがeufoniusの「リフレクティア」だ。私はこの曲でeufoniusを知ったのだが、いやはやすごい曲を作る人達だなあと。他の作品を聴く限り優しいほうなんだけど、転調やシャープ・フラット・ナチュラルのオンパレードで、なおかつ違和感のないように聴かせることのできるバランス感覚が凄まじい。

 イントロは短めだがストリングスとコーラスの美しさが耳を引き、静かなトーンからAメロが始まる。ここではボーカルが主人公で、その声をシンセで作ったような他の音が天使の羽が舞い上がるがごとく幻想的な進行をする。ドラムビートも控えめながら、それでいて何かが始まるような高鳴りを奏でる。

 

Bメロではビートが四つ打ちになり、今まで立ち止まっていたのが、少しずつ歩き始めたかのような“動き”を見せる。色々な音が同じ場所に集合して、同じ場所へと向かっていくような一体感とワクワクがこのBメロにはある。

 

「そして」サビ。この「そして」という接続詞から入るサビですよ。言葉そのものがスイープ音みたいな、ようやく新しい世界へ飛び出すという直前の一瞬を切り取った一言。そこから「駆け出す」「飛び込む」「見上げる」「手を振る」という、動詞終止形の雨霰。その一つ一つの動作にファインダーが合って、煌めいた瞬間にシャッターを切ったような、刹那の美学がある。ビートはもはや「駆け出す」そのままで、躊躇いなく突き進んでいく。そこに今まで目立たなかったベースがうねるように存在感をアピールする。これが非常にダンサブルで、それ故にキラキラとしたシンセやストリングスがより輝きを増すのだ。

 

最初から最後まで美しく、それもアクセサリーでゴージャスに飾り立てたようなものではなく、羽衣だとか天使の羽だとか極めて神聖的で純真無垢なものを纏ったような美しさが、この曲には存在するのだ。放送してから13年が経った今も、この曲は私の中でヘビーローテーションの一角を担っており、この曲がランダムでかかると「おおっ!」となり、私のテンションを上げてくれる。

 

さて折角なので、あまり共感されない話を書こう。冒頭に書いた「宗教戦争」という言葉であるが、当時このアニメでは派閥争いが起こっていた。「どちらのヒロインが良いか!?」的な不毛なアレなのだが、比呂美派VS乃絵派の戦いでスレが殺伐としていたのだ。

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本編でもガチバトルしていたけどね

この戦いは本編が終わっても数年続き、もはや空中戦の様相を呈していた。本編の終わり方は個人的に好きだったのだが、それに納得のいかない一派がもう一派とラウンド2を繰り広げていたのだ。

 

いや、ちょっと待ってくれ。もう一人誰かを忘れていないだろうか。そう、愛ちゃんである。なぜか両陣営から三つ巴の関係に入れてもらえない愛ちゃんである。

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可愛い愛ちゃんは可愛い

まあこの娘だけ本筋とは別のルートだったというか、幼馴染か不思議ちゃんかという流れに、友人の彼女という違う話をブっこんでくるから、「いや今それどころじゃないから」という雑な対応をされてしまうのだろうか。Google検索でも第二検索用語で「クズ」と罵られる有様で、スレで愛を叫んでも誰からも相手にされない。それが孤高の愛ちゃん派である。

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true tearsの名シーン?ここでしょ」と私は声高に語るのだが、誰にも同調してもらえない(´;ω;`)

これはねえ、私がこういう「好きになっちゃいけなくて、それを押し殺そうとするけど隠しきれない」的なヒロイン大好きなのもあるんですよ。同時期にやっていたキミキスのアニメでも、大バッシングを浴びていた​摩央姉ちゃんをふっつうに応援していましたからね。School Daysはもちろん世界派です。

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そして彼女の気持ちを知った時の三代吉の絶望的な顔がたまらねえ

冷静に文章書いていると、当時の自分がどうかしてたわ。宗教戦争に入れてもらう前に、どちらの宗教からも異端扱いされて火あぶりかけられるみたいな。自分は本当にキャピキャピしたラブコメと相性が悪いんだなあと。それでも私はtrue tears大好きなのですよ。いつかこの溢れる想いを書いてやろうと思って筆を取ったが、さてリフレクティアの話どこいったんだろう。

AiM/keep on

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私の家は三人兄妹なのだが、年をとった今も割と仲が良い。新しいゲームを買ったら報告があり、美味しいランチを見つけたら写真が送られてきて自慢をされ、粛々とSwitchのファミリープランの料金を支払う。数年前には三人揃って動物園に行ったほどだ。そんな我らが兄妹が今も口を揃えて名作だと褒め称えるアニメがデジモンアドベンチャーである。

 

我が家はリアルタイムで見ていたわけではなく、夕方の再放送でデジモンを知った。そこから毎日三人揃って見るようになった。02時代も含めて様々なOP・EDが流れたが、その中で私の一番のお気に入りはAiMの「keep on」である。

初期EDのI wishのバブリーな雰囲気を残す曲調も好きだった。しかし徐々に完全体が登場し、ヴァンデモンに子どもたちが慄き、8人目の選ばれし子どもの存在が明かされるぐらいでこの「keep on」に曲が変わった。そしてその未来へ突き進んでいく歌詞と曲調、主人公たちの勢力の頼もしさなどに、私の子ども心はすっかりときめいてしまった。

 

まずイントロがベースで始まるが、TM NETWORKの「パノラマジック」に似ているように感じる。後年わかったことなのだが、作曲者がパノラマジックと同じTM NETWORK木根尚登氏であるのだ。パノラマジックもそうなのだが、イントロでベースソロをやられると、薄暗い車庫でエンジンがかかり、これから何かが始まるワクワク感を私は抱いてしまう。

 

AメロはこれまたTM NETWORKの「1974」である。ボコーダーの入るタイミングなんかは完全に同じだ。「1974」は小室哲哉氏の曲なのだが、この曲はパノラマジックと同じタイミングで発売された同時期(というか、「1974」のB面がパノラマジックなのだが)のものである。彼らが16歳であった1974年を振り返って書いた曲らしいのだが、困難に立ち向かう子どもたちに対する、未来の大人である木根氏からのメッセージとして、1974に似た曲調にしたのではないかと私は勝手に思っている。

 

歌詞もそうだ。「振り向かないで走り続けよう」とか「​擦りむいた痛みに負けられない 」とか力強いエールをいくつか送っている。Aメロの最後で「乾いたノドにうるおいをくれる Your smile」と、茶目っ気のある歌詞が入るのも愛嬌だ。そしてそれらの歌詞が子どもたちの笑顔と、一緒に旅をして成長してきたパートナーデジモンの姿を描いたアニメーションと共に流れるのだからたまらない。

 

Bメロもやっぱり「1974」だ。少し不安定なコード進行で、弱虫な自分への別れを歌っている。この時の背景が私はとても好きで、子どもたちが旅をしてきた場所、出会ったデジモンが走馬灯のように流れてきて、今まで歩んできた道をアルバムのように振り返ることができる。ここまで歩んできたのだから、弱虫な自分でも新しい一歩を踏み出せのだというような演出は、ショーの幕が上がる直前の緊張と自信が入り混じった表情を表しているようだ。

 

そこから入るサビ。デジモンの曲のアニメーションで一番好きな部分を聞かれたら、私は迷わずここを挙げる。「今こそと飛び立つ勇気を持って」という歌詞の通りの子どもたちの勇敢な顔ときたらどうだろう。そしてその後ろには旅を通じて完全体へと成長したパートナーデジモンの頼もしい姿がある。「この仲間たちならどんな困難でも立ち向かっていけるんじゃないかな」と視聴者に思わせるだけのがパワーがそこには存在する。メロディーも小節の始まりがそれぞれド#→レ→ミと一つずつ上がっており、コードも同じように上がっていき、そこまでも行けるような高揚感を漂わせている。歌詞の言葉を後押ししているのが、この飛翔していくメロディーなのだ。いやもうすごいったらない。

 

歌詞を通して見て、やはりこの曲は木根氏によるエールだと思わずにはいられない。というのも、ここで書かれた言葉は、全て大人視点のものなのである。冒険に夢中の子どもの「頑張るぜ!」というスタンスではなく、彼らを信頼して背中を押すような優しさに満ちた言葉なのだ。それはやはり木根氏自らが「16光年の訪問者」として過去にタイムスリップして、声にならない声を届けているのだろう。

 

02を挟んだ後、私はデジモンからすっかり卒業してしまった。ここ数年で初代デジモンの映画もやっていたらしいが、私の食指は動かなかった。ところがそんな中、この曲がリメイクされていたことを知ったことで、私もすっかり「16光年の訪問者」になってしまった。そして今でもデジモンの話で盛り上がる我らが兄妹も、かつての選ばれし子どもたちだったのだろう。