ガラパゴスからの船出

時代の潮流から随分外れた島に浮かぶ音楽ブログです。お気に入りの曲(2000年代後半が多め)の感想や好きな部分をひたすら垂れ流します。

中村瑞穂/夕焼けの空を飛べたら

5~15歳の11年間、私はヤマハピアノ教室へ通っていた。5~12歳はグループコース、10~15歳には個人レッスンも始めた。といってもろくに練習などせず、毎週ぶっつけ本番とばかりに通っていたから、全くもって上達した感じもなく、それでいて辞めることもなく、惰性で通い続けていた思い出がある。

 

ヤマハピアノ教室では歌を歌うレッスンもあって、私はそれが好きではなかった。しかしその頃歌った「夕焼けの空を飛べたら」という曲は、そこから十数年経った今でも頭に残っている。

エレクトーンのFM音源やPCM音源で構成されているためか、音はリアルではないものの、管楽器も弦楽器も打楽器も一通り揃っており、程よく賑やかな編成となっている。

 

左右に振れる高い音や、重低音のあるSFXからこの曲は始まる。夕焼けの空に浮かぶ一番星や、夜の帳が近づく様子を思わせるサウンドだ。そこからはバイオリンやチェロが澄んだ空気を、トランペットやボンゴがワクワクする気持ちを演出する。そこから一小節だけFのコードで9thノートを入れてきて、その後にフォールするあたりがエモいよね。

 

「いつでも夢見ていた~」とゆったりと音を伸ばすAメロ。マイナーコードが多めなのに暗くならず、かといって明るすぎもしない、まさに夕焼け空の何とも言えないあの色を表現したような進行が続く。

 

Bメロではリズムが少し変わり、カスタネットやピポピポなるシンセが入る。「かけてー」の部分はこれまた一小節だけFのコードが入る。キーがGなのに不自然さは全くなく、何事もなかったように元のキーに戻るのがニクい。そして「くれたー」からサビにかけて盛り上がっていく。全体でも言えることだけれど、この曲はストリングスの使い方が本当に上手い。

 

大空を飛ぶ魔法は「傷ついたハートを助けてあげる」こと。これはおそらく自分の心のことだろう(鳩ではない)。「悲しみ忘れたらあなたも飛べるよ」とサビで歌う。とても難しい話だが、大人になった今すごくドキリとさせられる。そして空を飛べた時の表現が「両手を広げて風にご挨拶」である。なんとまあ美しいフレーズ。あまりにも詩的すぎやしないだろうか。

 

間奏はこれまた90年代初頭らしいPCM音源のパッドが響き、そこへ一段ずつ下がっていくセブンスコードが入る。ふと立ち止まるかのように音が少なくなったところで、こういうことをしてくるのだから、心がキュっとする。

 

2番のAメロはビオラの音が入り、1番の時より音に厚みが増している。「夕焼け雲の中にピンクのバラの花が咲いていたよ」とあるが、この「バラ」というのは、積み重なった「ふんわり雲」が夕焼けに照らされて、ほんのりピンク色になっており、それがまるで重なり合ったバラの花のようだという表現だろう。いやいやこんな素敵な喩えがあるとは…。

 

さて2番のサビを終えると、もう一度サビがやってくるのだが、注目すべきは最後の「悲しみ忘れたらあなたも」という部分。歌詞やメロディは同じなのに、ここだけ急にコード進行が変わる。Gから一つずつ下がって転調していくという、ラストで中田ヤスタカみたいなことをやってくるのだ。同じフレーズが二回続くから変化を入れたくてそうしたのかもしれないが、一番盛り上がってドキリとする歌詞の部分でこんなオシャレなことを平然とやってくる。

 

総じてこの曲は、作曲の妙の凝らしっぷりがすごい。子どもにはわからない技術が詰め込まれている。そして作詞のワードセンスも光りまくっていることから、これを教材にするヤマハの本気度が窺える。そりゃ多くの人の心にずっと残り続けるわけだ(Twitter調べ)。

 

ピアノは真面目にやらなかった私だが、培った音感と楽典の知識はDTMをする上で大いに役立っている。同時に「もう少し真面目にやっておけばよかったなあ」と、錆び付いた指を眺めては後悔する日々である。

 

ちなみに私が通っていたピアノ教室は、何年後かに英会話教室へと変わり、今は保育園へと変貌してしまった。悲しみは忘れても、この曲とピアノ教室のことは忘れはしないだろう。