ガラパゴスからの船出

時代の潮流から随分外れた島に浮かぶ音楽ブログです。お気に入りの曲(2000年代後半が多め)の感想や好きな部分をひたすら垂れ流します。

槇原敬之/Hungry Spider

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槇原敬之(以下マッキー)の中で私が最も好きな曲は、もう散々に語りつくされている「Hungry Spider」である。マッキーには「どんなときも。」や「もう恋なんてしない」などの有名なヒット曲があるのだが、それらは私がようやく物心のついたぐらいの曲であり、後で年齢を重ねて改めて聴いたものである。その点「Hungry Spider」はリアルタイムで聴いており、なおかつこの曲の持つ怪しい魅力は子ども心をも昂らせた。

怪しさの原因は、使用しているコードだろうか。メインはイ短調であるが、とにかくセブンスコードが多いのが特徴的である。どうとでも取れるような不安定なコードが連続して響くのだが、それでいて特に捻ったコード進行をしているわけではないので、変に神経が疲れることもなく、自然と耳に入ってくる。またアコーディオンの音色が異国の物語風な雰囲気を醸し出しているため、どことなく非日常的な不思議な空間作りに一役買っているのだろう。

 

私はそこまでマッキーに詳しくないのだが、この曲のコード進行(特にBメロ)はシャンソンの名曲「枯葉」を思わせる。「枯葉」もまたセブンスコードが多く、悲しいようで、それでいて心に染渡るような落ち着いた雰囲気を漂わせた曲である。曲調は全く違うのだが、源流が同じ場所にあるような気がするのだ。

歌詞であるが、片思いを蜘蛛と蝶に喩えたものだ。蜘蛛というのは見た目が怖く、目や足の多さから嫌う人もいる醜い虫だ。一方の蝶はその羽の模様や飛び方から美しい虫の代表例。字面通りに取れば、この曲の主人公である醜い蜘蛛は「腹を空かして」おり、恋愛にはなかなか縁のないような男なのだろう。そんな男が憧れのあの人から「きれい」と褒められた何かがあったのだから、舞い上がってしまう。しかしそれが醜い自分の作ったものだとあの子は知らず、調子に乗って近づいたら嫌われるのがオチだとわかっている主人公は、「あの子」に近づかず、自分の好きだという気持ちだけで生きていこうとする。

 

しかし二番の歌詞にあるように「あの子」はうっかり近づいてしまった。「あの子」には主人公に対する恋愛感情なんてないのだから、まさか自分が好かれているとは思わず、ぼんやりと近づいてきてしまう。「おびえないように闇を纏わせた 夜に礼も言わず駆け寄る」という歌詞が面白く、本来なら憧れの「あの子」が近づいてくれて「ありがとう!」とでも言いたいところだが、結局傷つくのは自分であるため「礼も言わず」助けようとしたのだろう。

 

しかし「あの子」は主人公に恋愛感情を抱かれていることにゾッとしたのか、「助けて」などと言う。そこで主人公が「叶わないならこの恋を捨てて罠にかかるすべてを食べれば傷つかないのだろうか」などと言う。もうこれは肉欲のままに「あの子」を貪ることで、「愛」という感情に蓋をしてなかったことにしようとも考えたのだろう。

 

このように切ない片思いの話なのだが、蝶である「あの子」との距離感がリアルで絶妙なのだ。普通にいる分には特に何もないのに、こと恋愛感情を絡ませると「ちょっと無理…」と言われてしまう。友達止まりの関係の辛さがそこにはある。2番の歌詞にある「夜」というところが個人的にリアリティを感じたところで、虫の世界であるのなら、光が当たらないのだから餌が捕まってしまうと単純に解釈できるのだが、人間関係における「夜」というのは、その夜を共にできるほどの距離感があるということになる。蝶にとってみれば友人だから気を許して、例えば近くでウトウトしてしまったのかもしれない。しかしその子のことを好きな主人公からしてみれば、激しく葛藤する瞬間である。「おびえないように闇を纏わせた」などと言っているわけで、つまり自分の下心を隠しつつ相手に近づいているように思えるのだ。それでもつい下心が出てしまったのだろう。友人から拒絶されるような反応をされてしまったのかなあと。

 

この友達がいわゆる女友達なのか、はたまた男友達とも取れるのだが、おおよそ「いい人」止まりの男性からすれば、なかなかシンパシーを感じる歌詞ではないだろうか。PVではマッキーが少女にこの話をしているのだが、一部始終を話したところでその少女に撃たれてしまう。つまりこの恋愛の気持ちを第三者に伝えたとしても、世間的にも拒絶されるような話なのだ。そう考えると性的なことを匂わせただけで嫌われるほどに主人公がよっぽど醜いのか、同性愛に対する世間のイメージなのか。いずれにせよいくらでも解釈ができてしまうのが、名曲の条件のように思える。

 

この曲が発表されて2カ月ちょっとして、マッキーは覚せい剤所持で逮捕されてしまった。当時は「こんなに怪しい曲なのは覚せい剤の幻覚によるもの」だとか言われていたが、ジャジーでこだわりのあるコード進行にしても、やたら深読みできてしまう歌詞にしても、ラリった状態で作れるわけがない。あまりにもタイミングが悪すぎたのだ。いや、本当に「星のような粉」に手を出してしまうのが一番悪いのだが。

ライブバージョンもカッコいい。カッコいい故に件の逮捕が悔やまれる