ガラパゴスからの船出

時代の潮流から随分外れた島に浮かぶ音楽ブログです。お気に入りの曲(2000年代後半が多め)の感想や好きな部分をひたすら垂れ流します。

馬渡松子/デイドリームジェネレーション

リアルタイムもそうだが、夕方の再放送の果たした役割が大きいのだろう。我々の世代は大体『幽☆遊☆白書』のアニメを通ってきている。我が兄妹妹もテレビの前に勢揃いして、物語の始まりから終わりまで楽しませてもらったものだ。

 

そんなみんな大好き『幽☆遊☆白書』だが、我々周辺の中で意見が割れる永遠のテーマがある。「一番好きなEDテーマはどれ?」というものだ。EDテーマは5曲あり、馬渡松子氏か高橋ひろ氏の楽曲のいずれかなのだが、どれも名曲で甲乙つけがたいのである。そしてお察しの通り、私が推すのは最後のEDテーマ「デイドリームジェネレーション」だ。

 

この曲を推す人は(私の周りには)あまりいない。友人には「どんな曲やったっけ?」と言われる始末だ。確かにこの曲は5曲の中で流れた話数が最も少ない。他の曲が20~30話ぐらい流れている中、この曲は9話のみだ。曲としてのクオリティではなく、そもそも知名度がないのかもしれない。

 

またアニメを見た人はわかるだろう。本編が「魔界統一トーナメント編」に入る頃の曲だが、このトーナメントは今までの話と違って緊迫感が薄いものになっていくのだ。主人公の浦飯幽助は魔界に至るまで、命をかけた死闘をひたすらに繰り返してきた。「こんなやつどうやって勝つんだ?」という強敵に対し真正面からぶつかり、これを打ち破って来た。ところが「魔界統一トーナメント編」は入りこそ魔界の禍々しさが描かれるが、その名の通り途中からトーナメント形式の大会で魔界の覇者を決めることになった。したがって「負けたら死」の死闘ではなく、「負けたら退場」の娯楽的な試合になった(死者も出ているし、皆本気で闘っているが)。

 

肩の力を抜いて楽しそうに闘うキャラ達を見た幼き私は思った。「ああ、このアニメは終わりを迎えつつあるのだ…」と。そんな物事が収束していく一抹の寂しさを窺わせるのが「デイドリームジェネレーション」である。

海やら空やらやたらと青が目立つ場所で、どこか遠くを眺めている幽助達。ほとんどこちらを向かないのだ。まるで彼らがどこか遠くへ行ってしまうかのような神妙な面持ち。何かが始まるのではなく、何かが終わろうとしている空気が漂っているのが伝わるだろう。映像は一切本編とリンクしていないのに、この雰囲気が本編とリンクしまくっているから不思議なものである。

 

コードはとにかくセブンスコードが多く、シンプルなものがほとんどない。ギターのカッティングやクラビネットから察するにジャンルはファンク・ロックだろう。FMシンセの音がBメロから増え始め、サビではそれらが煌びやかに鳴り響く。開放感のある海のアニメーションと実にマッチしたものとなっている。

 

そんなファンキーな曲に乗る歌詞は、幽白の曲らしく(?)意味深でオシャレで不思議なものだ。何よりもの名文が「瞳を開けて見る夢だけ 強く抱きしめているよ」という部分だろう。曲中で何度も出てくるフレーズだが、「今は傷ついてもいい」だとか「かなりトゲがある」だとか、やたらと厳しい言葉に繋がっている。また最後には「この愛が勝手なほど バネにしていく」と、これからの未来に繋げる言葉も描かれていることから、「瞳を開けて見る夢」とは、時に目を背けたくなる「現実の愛」なのだろうと私は勝手に考えている。そもそも曲の入りが「まぶたのウラに憧れだけ 浮かべて眠る季節に Goob-bye」というものであり、瞳を閉じていることがわかる。そしてそこには「憧れだけ」がある。この「だけ」というところがポイントで、憧れの人との関係を実現させるための努力やら直面する問題やらは、そこにはない。「遠くキラめく」甘美な夢だけを楽しんでいるのだ。

 

つまるところデイドリームとは、トゲもあれば嘘に傷つくリアルなものであるから、瞳を開けて見つめなければならないものなのだろう。こういう大人の恋愛を子ども向けのアニメのEDテーマにサラっと入れてくる軽妙洒脱さときたら…!カッコいいったらないよね。